ひとが帰る場所

「私は、おふとんで眠るのがだ〜いすきだったんだ」

たくさんの大人たちに見守られ、育てられ過ごした保育園生活。一番の思い出を、卒園式の日に大人たちの前で発表した。

他の園児たちは、将来の夢だとか発表会の思い出だとかを発表していた。

卒園式に向けて、予行練習は何度も念入りに行われた。卒園証書の授与と、ひとりひとりの発表と、歌の披露。何度も練習を繰り返すことで、6歳の小さな体に当日の流れを染み込ませていく。

練習が始まってから、初めて自分だけがおふとんの話を発表することを知った。

みんながいきいきと夢の話などを語り、先生に激励の言葉をもらっているのに、私は一番の思い出がお昼寝の時間におふとんで眠ることだったという話をするだなんて、なんとも怠けた子どもである。

発表に至るまで、担任の先生の事前面談のようなものがあった。

私は、お昼寝の時間のおふとんの話と、将来の夢がファッションデザイナーであることを先生に伝えた。

当時大好きだったリカちゃん人形のママの職業が、パリで活躍するファッションデザイナーだったのだ。絵を描くこともお洋服も、そしてリカちゃんの着せ替えのお洋服のコーディネートを考えることも好きだった私は、自分にぴったりな職業だと自信を持っていた。この年齢にして、かなり具体的な夢を描いていた。

しかし採用されたのは、おふとんだった。

両手で大きく丸を作るように手を広げながら発表しようね、と先生に言われるまま、ジェスチャーをしながら大好きなおふとんの発表をした。卒園式当日の発表は上手くいった。

しかし卒園後、何度ビデオを見返しても一人だけ明らかに浮いた発表をしていて恥ずかしくなる。

正直な話、私はお昼寝の時間になかなか寝つけないタイプの園児だった。

ふとんに入ると、あちこちに意識が散乱してしまうのだ。すぐに友達にちょっかいをかけていたし、おもちゃ箱からおもちゃを取り出して遊んでは先生に叱られていた。

それでも体力は子どもなので、気がつくと力尽きて眠ってしまう。

目を覚ました周りの友達が、自分でおふとんを畳んでいる中、私だけが深い眠りについたままなんてことがよくあった。

当然、先生に叩き起こされ、寝起きは抜群に悪い。寝起きの悪さは今も昔も変わらない。

6歳の頃も、そして今も、とにかく寝つきも寝起きも悪いが、おふとんに入るという行為は大好きなのだ。

すべすべのシーツに素足を滑らせてひんやりしたところを探す気持ちよさや、足先から首元まですっぽりと包まれたときのあたたかさ、巻き寿司のようにぎゅうぎゅうに巻かれる楽しさ、そして重たい毛布に抱かれて眠る安心感。

友達や夫とベッドの上で雑談する時間。

今日一日の出来事を報告したり、消灯した薄暗がりの中でくだらないことを言い合って笑いすぎて、いつのまにか眠気が飛んでいってしまったり。

おふとんにいるときにしか味わえない至福の時間が、この世には存在している。

病院で産まれた赤ちゃんは、用意されていた清潔なおふとんに寝かせられる。赤ちゃんのためだけに用意された、赤ちゃんのサイズのおふとん。

生涯を終えるとき、ひとはおふとんの上に寝かせられる。ひとにとって最も、全身を休められる姿。産まれたときに一番近い姿。

おふとんは、ひとが帰る場所なのだ。

産まれるときも、生涯を終えるときも、そして学校や仕事から帰ってきたときも、やわらかくひとを包み込んでくれる場所。疲労も、悲しみも苦しみも、すべて受け止めてくれる場所。

おふとんに埋もれるために、私は今日を生きている。

勢いよくばふんっと倒れ込む今日の終着点も、いつか迎える最期の静かなときも、帰る場所は大好きなおふとんであってほしい。

誰もがときより立ち寄って、安心できる終着点で在り続けられるように。またそこから出発できるように。そんな思いで、このブログを立ち上げてみました。

今後も読んでいただけたら大変喜びます。

あと、なるべく更新頻度を落とさぬよう頑張ってみます。

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